デジタル知のオープンとリサイクルによる知識進化

−Unix とLinux−

柴田友厚

要 旨

 電子媒体に蓄積されコンピュータで処理できるデジタル知の特性を活用することにより、共有空間でのオープンとリサイクルによる急速な知識進化を達成しようとする、新しい製品開発スタイルの可能性を考察する。デジタル知は、「強い外部性」と「使用による学習の蓄積性」という2つの性質を持ち、それが急速な知識進化を可能にする。デジタル知を共有空間に積極的に公開し、共有空間の中に隠れている知識を触発させながら、同時にそれらの知識との間で分解、加工、修正、再利用などを繰り返すことで、ダイナミックな知識進化は達成される。そして、UNIXとLinuxの2つの事例では、デジタル知のオープンとリサイクルの結果、当初の設計者ですら予測できなかった知識進化が達成された、ということを示す。最後に、そのアプローチが企業経営に与えるインプリケーションを考察する。

1.デジタル知とその特質


企業が生産する商品やサービスは、様々な資源を駆使することにより、革新的で魅力あるコンセプトやアイディアを具現化したものである。その意味では、企業が商品やサービスを生産する活動とは、知識創造活動であると言うことがいえる。

今日特徴的なことは、知識を電子媒体に蓄積したりコンピュータで処理することが可能になり、世界中あらゆる場所からコンピュータネットワーク経由で、それが利用可能になったということであろう。 知識の蓄積や伝達は、これまで紙もしくは人間を介して行われてきた。今日、紙という媒体に加えて電子媒体が登場した結果、電子媒体上に蓄積された知識は容易に加工され、編集され、そして伝達されてゆくのである。

例えば新しい商品を設計し、製造してゆく過程を考えてみよう。 設計者は、彼の頭の中にあるアイディアやコンセプトにもとずき、コンピュータを駆使して様々なデータベースや知識ベースを参照しながら、シミュレーションやコンピュータグラフィクといった手法を使いながら、モデルを作りあげてゆく。 そのモデルは、コンピュータネットワーク上で容易に編集したり伝達することが可能なのであり、いわば、バーチャルプロダクトとでも言うべきものである。そしてバーチャルプロダクトは最終的に、工作機械や産業用ロボットにより加工、組み立てられ、リアルプロダクトへと変換されてゆくのである。電子媒体上での知識処理が可能になる以前には、バーチャルプロダクトが世界中を駆け巡ることはなかったのである。

コンピュータソフトウエアは、そのような知識の典型的な事例であり、コンピュータネットワークで接続されている世界中のあらゆる場所から利用可能である。それはコンピュータ上で容易に編集が可能であり、その結果ある1つのソフトウエアに対する機能追加や修正が、非常に簡単にかつ世界中で同時並行的に可能になる。例えば、米国のエンジニアによって作成されたソフトウエアは、インドのバンガロールのエンジニアによって、その日のうちにテストすることが可能になり、翌朝までにはそのテスト結果は米国にフィードバックすることができる。そして翌朝、米国のエンジニアはテスト結果を知り、それを参照してソフトウエアの開発を継続することができる。このような仕事のスタイルが可能になるのは、電子媒体上に蓄積されている知識が保有する特性ゆえである。以上のような簡単な事例からも、知識が電子媒体に蓄積され、コンピュータ処理できるようになった結果、知識が紙に蓄積されていた頃には及びもつかなかった特性を持つようになり、それが今後の産業社会の動向に大きな影響を与えるだろう、ということが想像できるであろう。

本稿の目的は、このような電子媒体に蓄積された知識の特性をうまく活用し、知識進化を達成してゆく新しい製品開発スタイルの可能性に関して、考察することである。

本稿では、電子媒体に蓄積され、上述のような特徴を持つ知識をデジタル知と称する。デジタル知とは、電子媒体上にビット情報の形式で蓄積されている。したがってそれはコンピュータで容易に編集したり、ネットワーク経由で簡単に伝達することができる。そしてデジタル知には、コンピュータソフトウエアのように財として市場で売買されるものと、そうでないものがある。重要なことは、めざましい技術革新の結果、デジタル知はその領域を、単なるテキスト形式で表現される知識のみではなく、画像やイメージまでをも包含しつつある、ということである。マイクロプロセッサの処理スピードの向上、伝送速度の向上、あるいはメモリ容量の増大などにより、かつては不可能であった画像やイメージまでもがデジタル知として処理することが可能になったのである。画像は視覚に訴えることにより、言語で表現できる以上のものを伝達することができる。我々は見ることにより、その場の雰囲気の一部を味わうことができ、言語では表現が難しいイメージを頭のなかにつかむことができる。我々は、Web上のホームページに現れる人物の表情を通して、その人物の大ざっぱな雰囲気を感じ取ることができ、まだ実際に会ってもいない人物に対して、好感を持ったりそうでなかったりするのである。ホームページに現れる人物の表情は、電子媒体上にビット情報の形式で蓄積されているのであり、デジタル知以外の何物でもない。したがって、デジタル知が伝達可能な知識とは、これまでいわゆる暗黙知として考えられてきた知識の一部をも含むと考えていいだろう。デジタル知という概念は、知識を蓄積する媒体に着目したものである。情報処理技術の発達が画像処理を容易にし、その結果暗黙知の一部もデジタル化して処理できるようになったのである。今後更に技術革新が進展するにつれて、デジタル知として処理可能な暗黙知の領域は拡大されるであろう。それでは、デジタル知が持つ特質とは一体どのようなものであろうか。デジタル知の知識進化にとっては、以下の2点が重要であろう。

まず第一に、デジタル知は強い外部性を持つ。外部性を持つとは教科書的に言えば、ある経済主体の行動が他の経済主体の生産関数や効用関数に直接影響を与える効果を持っていることをいう。外部性には、市場を経由した外部性と市場を経由しない外部性の2種類があるが、重要なのは、市場を経由しない外部性を知識が持つということである。

知識の外部性を理解するためには、ポール・ローマの外部性モデルで紹介されているロビンソン・クルーソの寓話が参考になるだろう。貧しい孤島と富める孤島にそれぞれ生存している2人のクルーソを考えた場合、「賢い」クルーソが考え出した「小麦のまきかた」や「肥料」などに関する知識は、情報の発達している現在では「賢くない」クルーソにもすぐにひろまるであろう。よい知識や方法がひろまることは、世界全体にとっては望ましいことであり、したがってこのような外部性の効果は、世界全体にとってみると非常に大きな影響をもたらす。暗黙知は、他者への伝達や移転が非常に困難であるという性質を持つために、非常に弱い外部性しか持たない。デジタル化されていない形式知は、編集能力や移転の範囲に限界があるために、外部性の範囲に限界がある。それに比べてデジタル知は、容易に移転や伝達が可能であるために、非常に強い外部性を持つ。例えば、日本からインターネット上に発信したデジタル知が、それを見た地球の裏側に住む人間の行動に即座に影響を与えるということが容易におこるであろう。

第二にデジタル知は、利用による学習(Learning byUsing) の強い蓄積性を持つ。複雑なシステム製品では、製造経験による学習(Learningby Doing)とは異なるタイプの学習として、利用による学習が存在することが指摘されている(Rosenberg、1982)。例えばデジタル知そのものであるソフトウエアは、その複雑性ゆえに製品開発の現場で不具合を完全に取り除くことは不可能であり、実際の環境のなかで使用してみてはじめてその不完全さが判明する。また近年の2000年問題の本質は、ソフトウエアの持つ複雑性ゆえに、何が発生するかを事前に、完全に予測することが不可能な点にある。このように、複雑なシステム製品においては、実際に利用してみることによる学習が重要な意味を持つ。したがって、利用した結果判明した不具合や不完全さなどを、如何に効率的かつ正確に、ソフトウエア製品に反映し、学習を蓄積してゆくか、ということが製品開発のパフォーマンスを決定するのである。その意味では、できるだけ多様な環境のなかで多様な使い方をするほうが、学習の効果が上がりソフトウエアの品質は向上するのである。一般的に、知識以外の全ての財は、利用すれば必ず消耗がおきるが、しかし知識の場合はそうではなく、むしろ利用されることで新たな知が付加され、その価値はますます増大してゆく。デジタル知はそのような属性を、より顕著に有している。デジタル知は、利用されても摩耗することはなく、むしろ利用されて修正されたり追加されたりすることで、他の知識が付加され、学習結果が継続されて蓄積してゆくのである。そのようなデジタル知の学習の蓄積効果とは一体どの程度のものなのであろうか。コンピュータ上では、全ての情報はビット、すなわち0か1の2進数として表現できる。1回の連結により1ビットの新しい知が付加されると仮定すれば、N回の連結による知の増殖は、2のN乗という指数関数で表わすことが可能である。つまり一次近似ではあるが、デジタル知の蓄積は指数関数のオーダーでおこるのである。
 

2. デジタル知のオープンとリサイクルによる知識進化


デジタル知が持つ上記のような特徴は、知識進化を達成する新しい可能性を示唆している。それが共有空間での、デジタル知のオープンとリサイクルによる知識進化である。

それはデジタル知を共有空間に積極的に公開することで、共有空間の中に隠れている知識を触発させながら、同時にデジタル知とそれらの触発された知識との間で分解、加工、修正などを繰り返しながら、知識をダイナミックに進化させようとする考え方である。リサイクルという表現には、共有空間に公開されたデジタル知が、分解、加工されたりしながら、あるいは部分的に再利用されたりしながら、知識進化してゆく、という主張が込められている。リサイクルの典型的な事例は、インターネットという共有空間において、ソフトウエアが進化を遂げてゆく事例である。そこでは、自分の技術を積極的にインターネット上に公開し、世界中の技術者からの改良を取付けながら、自分の技術進化をダイナミックに達成してゆく、というプロセスが頻繁に観察できる。またリサイクルによる進化の途中で、デジタル知が枝分かれし分派してゆくこともおこりうる。たとえば、UNIXはAT&Tによって当初開発されたが、その進化プロセスの途中で、カリフォルニア大学のバークレー校によってAT&T版を修正したBSD版が開発されたのである。

このような知識進化を可能にするものは、デジタル知が保有する「強い外部性」と「利用による学習の強い蓄積性」という2つの性質であり、デジタル知の知識進化プロセスは、以下のような2つステップをへて実現される。まず第1ステップは、ある特定の共有空間に対して、デジタル知を完全にオープンにすることである。このステップでは、デジタル知の強い外部性ゆえに、デジタル知の存在は共有空間の隅々にまで認知され、潜んでいる知識を触発させる契機となる。つまり「知識が知識を呼ぶ」という現象を発生させることになるのである。これは組織の中では、以下のような現象として観察できる。

たとえば、アンダーセン・コンサルティングでは、組織内の知恵の共有を計ること目指して、グループウエアを使ってナレッジ・エクスチェンジ(KX)という共有データベース ソフトを作成した。だが、もともとコンサルタントという仕事は属人的要素が大きく、個人主義的であり、知恵の共有は起こりにくいのである。そこで同社では、「会社の知識資源への貢献」に人事評価のなかで多きな重みをつけ、ナレッジ・エクスチェンジ(KX)への貢献を評価の大きな尺度にしたのである。つまりKXを制度的にバクアップしたのである。コンサルタント達は人事評価にうながされてKXを使用しているうちに、「人に教えれば教えるほど、自分に情報が集まってくる」という情報の特性を体験していったのである。同社のアイアン氏は自分の経験から「知識の廃棄理論」を唱えており「知識を吐き出せば吐き出すほど、新しいことが学べ前に進める。人に教えるほど自分に情報が集まってくる」と語っている(1995 NikkeiBusiness)。これはまさに、知識を外部に公開し提供した結果、その知識に刺激されて、組織の中でこれまで隠れていた知識が触発され、引き込まれていったためなのである。これが、「知識が知識を呼ぶ」という現象である。

デジタル知はその非常に強い外部性ゆえに、組織の中のみならず、広範な共有空間の中に隠れていた知識を触発させることになる。その結果「知識が知識を呼ぶ」という現象を、ネットワークで接続されている地球レベルのサイバースペース空間内で、発生させることになる。例えばフリーウエアをインターネット上に公開すると、他のエンジニアによって改良されたフリーウエアがインターネット上に再度公開される、という現象をしばしば観察することができる。これは地球レベルのサイバースペース空間で、触発された新しい知識が次から次へとフリーウエアに取り込まれていったことを示しているのである。

第2ステップでは、デジタル知が共有空間のなかで利用されることにより、加工や修正、あるいは他の知識との結合や置換を繰り返しながら、継続して学習効果を蓄積してゆき、技術進化を遂げるというプロセスをたどる。このステップで大きな役割を果たすのは、デジタル知が持つ「学習による強い蓄積性」である。第1ステップで触発された知識と結合したり、あるいは置き変えられたりというリサイクルプロセスを繰り返しながら、デジタル知は共有空間の中で「利用による学習」を蓄積し、原理的には限りなく進化することが可能になる。デジタル知のオープンとリサイクルによる知識進化は、このような2つのステップを経て実現されるのである。

これらのプロセスは、共有空間に潜んでいる知を触発させるプロセスであるから、その結果最初の発明者が全く予想できなかった新しい価値が、そのプロセスのなかから生みだされる可能性がある。共有空間の中にどのような知識が潜んでいるかを、事前に明確に予測することは困難だからである。例えば、インターネットに自分のソフトウエアを公開し提供したエンジニアは、それがどのような技術進化を遂げ、最終的にはどのような技術として結実するかということを、初期の段階で予想することは非常に難しいであろう。また、アイコングラフィックのインタフェースを最初に作り出したのはゼロックス社であったが、ゼロックス社の優秀な経営陣でさえ、その潜在的な価値を正しく認識することはできなかった。その価値が正しく認識されたのは、アップルとマイクロソフトが実際の製品を市場に投入してからである。それ以降、市場に潜んでいた新しい知が次々と追加されていき、アイコングラフィックスは技術進化を遂げていったのである。今日では、そのトータルな価値がどれほどになるのか、誰も計算することはできない(1996Quinn and Baruch)。

ここで注意する必要があるのは、デジタル知のオープンとリサイクルは、デファクトスタンダードの獲得を目的として、ただ単にソフトウエアを公開することとは根本的に異なる、ということである。確かにデファクトスタンダードを獲得する為には広く知識を公開することにより、「仲間づくり」をすることが必要である。また、リサイクルの過程で結果的にデファクトスタンダードが実現される可能性は存在する。しかし、「仲間づくり」のための知識の公開は、知識進化を目的としたものではないために、デファクトスタンダードを獲得した技術が、知識進化を達成した後の最高の技術であるとは必ずしも限らないのである。本稿で提示しようとしている考え方は、デファクトスタンダードの獲得を目的とした「仲間ずくり」のための方法ではなくて、「知識進化」を達成するための方法なのである。
 
 



 






ところでリサイクルプロセスを、それが発生する共有空間とデジタル知の種類という2次元の視点から類型化することができる。リサイクルプロセスは、顧客との関係性という比較的狭い共有空間の中で発生する場合もあるし、あるいはインターネットのような地球レベルでのサイバースペースの共有空間で発生する場合もある。

またデジタル知には、ソフトウエアのように市場で財として取引されるデジタル知と、財としての価値を持たないデジタル知、という2種類が存在する。
 
 



 






図2では、縦軸にリサイクルが発生する共有空間の種類、すなわち、サイバースペース、それ以外の一般的な共有空間、そして特定の顧客との間で形成される狭い共有空間、をとり、横軸にはデジタル知の種類、すなわち、財としての価値を持つデジタル知とそうでないデジタル知をとり、2次元の類型化を試みている。

顧客との共有空間の中で実現されるプロセスに、ラピッドプロトタイピング(RPT)がある。アプリケーション ソフトウエアの開発現場で、最近この手法はよく使用される。ソフトウエアは顧客の要望や仕様にもとずいて、ソフトウエアベンダーにより開発される。しかし、顧客の暗黙的な要望や仕様を言語や仕様書で表現すること難しいため、それらを正確にベンダに伝達し移転することは不可能である。その結果、ベンダーが作成したソフトウエアは顧客の真の要望を満たすことができず、製品出荷後ベンダーと顧客の間でトラブルが発生し、その修正をめぐって頻繁なやり取りがこれまで多くの場合行われてきた。これを解決する手法がRPTであり、これは製品開発の完了を待たずに例えば6割の段階で製品をサンプル出荷し、顧客に実際に使用して貰うのである。それによって顧客の隠れた要望や需要を取り込み、さらに製品を改良してゆく。いわばベンダーと顧客との間で、製品を介しての循環サイクルを何回か繰り返してゆくという手法である。ベンダーと顧客との共有空間内で、このようなやりとりをできるだけ多く繰り返すことにより、製品が顧客の真の要望に近ずいてゆくのである。そして多くの事例研究は、この手法がコスト的に優れているばかりではなく、品質や機能においても顧客の真の要望をより満たしたものになっている、ということを示している(1994 Hippel)。これはまさに、顧客とベンダーとの共有空間内で、共同で知識を進化させようとする方法なのである。

それ以外に、マイクロソフトのいわゆる「同期安定化プロセス」と言われている方法論もまた、この範疇に類型化できる。これは、プロトタイプの作成、内部ユーザと外部ユーザによるテスト、そしてデバッグという一連の作業を繰り返すことにより、顧客との共有空間でリサイクルプロセスを繰り返し、ソフトウエアの機能を段階的に進化させようとする方法である(馬場、1998)。

また、財としてのデジタル知を、一般的な共有空間上でリサイクルさせた事例としては、ソースコードまでをインターネットに公開したJAVAや、同様にソースコードを公開したUNIXの場合があげられるであろう。JAVAは、オペレーティング・システムに依存しない言語として、サンがマイクロソフト対抗に開発した言語である。今後JAVAは、ソースコードを公開しながら歴史的進化を達成してきたUNIXと同様の成長、進化の過程をたどる可能性がある。ただUNIXとJAVAとの違いは、UNIXの誕生時点ではインターネットのようなサイバースペースはそれほど発展してはおらず、その結果インターネットに公開したわけではない、ということが指摘できる。

そして、財としての価値を持たないデジタル知を、サイバースペース上でリサイクルさせ技術進化を達成した事例には、インテルがPentiumプロセッサの欠陥情報を、インターネット上に公開したという場合があげられる。この場合、Pentiumプロセッサの浮動小数点演算に関する欠陥情報がインターネット上に公開された結果、潜在的な危険性に関する認識が共有され、インターネット上に形成された専門家とエンドユーザによるフォーラムでの技術的討論と技術的検討が加速度的に促進し、その結果わずか6カ月でこの欠陥が解決したのである(1996 Uzumeriand Snyder)。
 

3.製品開発の新しいパラダイムーオープンとリサイクル


上述のように、デジタル知のオープンとリサイクルによる技術進化の事例は、すでにいくつか存在する。しかし実はそのほとんどは、その効果が事前に明確に意図されていたわけではなくて、むしろ予期せざる結果としてデジタル知のリサイクルによる技術進化は実現されたのである。例えば、インテルがPentiumの欠陥事例をインターネット上に公開したのは、むしろユーザからの圧力によりやむにやまれぬ状況のなかで公開したのであり、その当時わずか6ヶ月でこの欠陥が解決するとは、インテルですら考えていなかった。つまり、デジタル知のオープンとリサイクルによる技術進化の効果が、認識されはじめたのは極めて最近のことである。しかしこの新しいパラダイムが技術進化へもたらすインパクトの大きさは、急速にかつ広い範囲にわたって認識されつつある。

最近、基礎研究から商品開発にいたるまでのイノベーションプロセスのあらゆる段階において、「ソフトウエアベースイノベーション」の効果が指摘されている。ソフトウエアの持つインパクトは、イノベーションに対するアプローチの方法を根本的にかえつつある(1996 Quinnand Baruch)。この「ソフトウエアベースイノベーション」はまさに、ベンダーと顧客で形成される共有空間で、ソフトウエアというデジタル知をリサイクルさせることにより、技術進化を達成しようとするアプローチに他ならない。このような「ソフトウエアベースイノベーション」を称して、Quinnらは「現在革命が進行中である」と表現している。

この新しいパラダイムは、組織の中に知識を閉じ込めておくよりは、より広い共有空間上に知識を公開し、他の知識を取り込みながら、修正、分解、加工をくり返していったほうが、知識進化のスピードははるかに早い、という認識をベースにして初めて成立する。この製品開発に対する新しい考え方を本稿では、「リサイクルアプローチ」と呼ぼう。

しかしその一方で、知識を組織内部に秘匿しておくほうが希少性を維持することができ、競争上有利であるという伝統的認識の存在もまた、以前として事実である。希少性がもたらす優位性に着目した、製品開発に対するこのような伝統的考え方を「囲い込みアプローチ」と呼ぼう。これは、資源の独占的な所有が価値の源泉であると仮定する、伝統的な経済学や経営学から導きだされる考え方である。

知識進化のスピードという観点にたてば、「リサイクルアプローチ」は「囲み込みアプローチ」に比べてはるかに短い時間で技術進化を達成することができる。特にデジタル知の場合、「強い外部性」と「利用による学習の強い蓄積性」により、知識進化は指数関数的な上昇率で達成可能になるのである。例えば、インターネットに欠陥情報を公開したPentiumの場合、わずか6ヶ月で問題を解決することができたのに対して、情報を公開しなかったDalkonShieldの避妊具の不具合の場合、解決までに約6年を要したのである(1996 Uzumeriand Snyder)。「リサイクルアプローチ」は共有空間から知識を調達し、知識を共創しようとするのに対して、「囲い込みアプローチ」は希少性を維持しようとするため、自社のみで知識進化を達成しようとするからである。

一方、短期的な経済合理性という観点からは、希少な知識を独占し競争優位に立とうとする「囲い込みアプローチ」のほうが優位であろう。問題は、たとえ現時点でそれが希少な知識であったとしても、それが一体どの程度の期間にわたって競争優位性をもたらしてくれるだろうか、ということである。特にデジタル知を主要な財とする産業においては、知識の独占が長期にわたって優位性をもたらすことは極めて難しいことであろう。現在の希少な知識が、明日においても希少な知識であり続ける保証は全くない。独占的所有によって優位性を維持しようとする考え方は、知識進化というダイナミックな特性を全く無視しており、その結果自分自身の知識進化をすら凍結してしまう結果になるのである。希少性の維持にあまりに固執することは、今日の企業にとって危険である。 むしろ積極的に知識を開示することによって、「強い外部性」と「学習蓄積の容易さ」を最大限活用しようとする方が、長期的には大きな優位性をもたらす可能性が存在する。

しかし「リサイクルアプローチ」は、何でもかんでも無節操に共有空間に公開するということを、提案しているわけではない。企業が保有する様々な資産の特性を考慮しつつ、デジタル知のリサイクルというアプローチをどうやって従来の経営のなかに組み込んでゆくか、という検討が必要であろう。企業が保有する資産のなかで、デジタル知は移転や模倣が極めて容易である。したがってデジタル知は、持続的な成長の源泉とはなりえないのである。その一方でデジタル知は、「強い外部性」と「容易な学習蓄積」の結果、急速な知識進化の達成が可能である。このような視点からも、デジタル知を秘匿し独占することにあまりに固執することは得策ではない。企業の持続的競争力にとって重要な資源とは、移転しにくく、模倣しにくく、かつ市場で購入することが難しい暗黙的要素を持つコアコンピタンスであることが指摘されている(1994 Hameland Prahald)。この視点にたてば、独占する必要があるのはデジタル知ではなく、そのようなデジタル知を再度つくり出せる能力としてのコアコンピタンスなのである。
 

4. UNIX の進化 と LINUXの進化 


本節ではまず、UNIXというオペレーティングシステムがいかにして進化を達成していったか、そしてその過程で対照的な行動をとった2つの企業、すなわち、UNIXのオープンとリサイクルにより知識進化を達成したAT&Tと、自社のオペレーティングシステムを独占し希少性を維持しようとしたIBMの事例を紹介する。

コンピュータの巨人IBMはなぜ急速にかつてのような勢いを失っていったのか。1980年代なかば、IBMの役員たちは同社の売り上げは1990年には1000億ドルに達するという予測を公表していたが、実際に達成された数字は690億ドルにとどまった。IBMは依然として米国で第4位の巨大企業ではあったが、企業成長は大きく鈍化することとなった。1991年、IBMは創業以来初の赤字決算をだした。損失金額は、通期で28億2700万ドルであった。 一方、UNIXをオペレーティングシステム(OS)として採用しているワークステーションメーカは、1991年は順調に推移した。 例えば、サンマイクロシステムは売上高25パーセント増で、利益32パーセント増であった。またヒューレット パッカードも利益増であった。一体何がIBMの停滞をもたらしたのであろうか(1991BusinessWeek)。

 
 
 



 






UNIXはAT&Tのベル研究所により、1969年にミニコンピュータ用のオペレーティングシステム(OS)として誕生した。1973年には,UNIX V5が開発されたが、それはアセンブラによる記述をC言語で書き換えた版であり、またベル研以外の非営利の機関へ初めて公開された。その後、1975年には商用としてV6が発表されたが、これはその後のUNIXーlikeなシステムの生みの親となったシステムであり、大学研究機関に対しては$200で、商用利用者に対しては$20、000のライセンスフィーで公開された。そしてこのV6には、プログラマーズワークベンチと呼ばれる機能が新しく付加された。更に1978年にはV7が発表され、これには現在のUNIXの基本となる考え方が入れられ、多くの細かな不具合が修正されたシステムである。 ベル研究所はUNIXを独占しておくことを好まなかった。 UNIXの特徴は、希望するところにはソースコードがライセンス供与されたということである。 その結果、世界中の多くの企業がUNIXをソースコードで入手し、自社のミニコンピュータに合致するように修正し、自社のコンピュータで動作させることができたのであ。 また、UNIXの多くの改良版が誕生した。それが更に、UNIXの普及に拍車をかけることとなった。その中で最も大きな影響を与えたものは、カリフォルニア大学バークレー校で開発されたBSD(Berkley Software Distribution) であり、その開発はUNIX V6 から分派した1BSDから始まった。BSDには、viスクリーン編集機能のような優れた機能が追加された。そして最近のシステムVでは逆に、バークレー版で培われてきた技術が取り入れられているのである。

当初のUNIXは、リアルタイム処理には全く適さないOSであり、工場のようなリアルタイム性が要求される環境では使用されることはなかった。しかし、ソースコードが公開されていたため、サードベンダーによる改良と修正の蓄積で、リアルタイムUNIXが開発されるに至ったのである。 このようにして、多くのメーカでUNIXが採用され、異機種のコンピュータを接続し分散処理を行うオープンシステム化への道を開いたのである。例えば1987年までに、富士通や日立を含む225のコンピュータメーカに、AT&TはUNIXをライセンス供与している。またある調査によれば、1991年までにドル換算で世界中のコンピュータの25パーセントがUNIXであった、と言われている。

 一方IBMは、1960年代初頭の360シリーズの成功により、コンピュータ市場において圧倒的な地位を築いていた。 当時のコンピュータ市場はメインフレームコンピュータであり、1980年までにIBMはメインフレーム市場で世界の8割以上を占め、独自路線を貫くコンピュータの巨人であった。 メインフレームを中心としてプリンターやハードディスクなどの周辺装置、OSやその上で動作するアプリケーションソフトウエアなどを一括して受注していた。 メインフレームのOSは、IBM独自のソフトウエアであり、IBMの規格にもとずいて設計されたものであった。 IBMはOSの規格を独占し、他社にその規格を公開することをしなかった。OSの独占により、アプリケーションソフトウエアも優先的に受注することができ、大きな利益を獲得することができたからである。当時IBMは、規格の独占という希少性の維持こそが、競争力の源泉であると考えていたのである。

すなわち、ベル研究所とIBMは全く異なる方針を選択したのである。IBMは知識の希少性がもたらす優位性に固執し、IBMは囲い込みを行おうとした。その結果、IBMのOSが他社に広がることはなかったし、同時に他社の知識を取り込んで改良されることもなかった。 一方、AT&Tのベル研究所は積極的にUNIXを公開したために、多くの企業がソースコードを移植することとなり、同時に他社により改良されることとなった。つまり、UNIXは他社の知識を次々と取り込みながら、図3に示されているように順次改善されていき、結果的にUNIXは事実上のミニコンピュータ用世界標準(デファクトスタンダード)としての地位を確立することとなったのである。 そしてコンピュータ業界の市場構造を、メインフレームからオープンシステムへと一変させることになったのである。もしAT&TがUNIXのソースコードを積極的にライセンス供与しなかったら、たとえメインフレームからオープンシステムへという歴史の趨勢は避けられなかったとしても、あれほど急激なコンピュータ市場の構造変動はおこりえなかったであろう。

この事例は、デジタル知が中心的役割を果たす産業において、持続的優位性の源泉がどこにあるのかという点で、大切な示唆を与えてくれる。すなわち囲い込み戦略は、デジタル知の希少性を維持しようするために、結果として「外部性」と「学習による蓄積」を全く無視することとなり、知識進化の効果的な達成を難しくするのである。デジタル知が中心的役割を果たす産業では、学習の蓄積による知識進化がもたらす持続的優位性の方が、希少性がもたらす短期的経済優位性よりもはるかに大きい。その意味でIBMは、デジタル知の登場にともなって、優位性の源泉がどこにシフトしたのかを見極め、自らの組織能力と組織文化をそれにふさわしいものに変革する必要があったのである。  

さて、1975年に商用のUNIX V6が発表されて以来、20年余りを経て、今日歴史は繰り返しつつある。LinuxというOSが、現在世界中の注目を集めている。Linuxとは、インテル・プロセッサをはじめとして、様々なアーキテクチャーのプロセッサで動作するUNIX系のOSであるが、その特徴はライセンス料を支払わなくても利用できるということであり、そのソースコードが一般に公開されており、自由に配付したり公開したりすることができるということである。

Linuxは、フィンランドの大学生であるリーヌス・トーバルズ氏が、1991年に開発を始めたOSである。ところがトーバルズ氏は、その開発を極秘の内にすすめるどころか、インターネット上の意見交換の場であるネットニュースに発表したのである。それが開発者達の大きな注目を集め、トーバルズ氏はその後、電子メールなどを使って開発者達と意見交換を始め、開発とテストを繰り返した。ソースコードやパッチ(デバッグや機能追加の結果生じた既存のソースコードとの差分をまとめたもの)が世界中の開発者からよせられ、トーバルズ氏がまとめてこれらを集約し公開する、という開発プロセスが幾度となく迅速に繰り返された。つまり、Linuxは特定のベンダーが開発したソフトではなくて、インターネットを媒介にして、非常に高い技術レベルを持った世界中の開発者は評価者が育て上げたOSなのである。

Linuxがほんの数年で、他の商用OSと比較されるまでになった背景には、このような開発スタイルが存在していた。実際、Linuxの進化速度には目を見張るものがある。例えば、1991年当時にはわずかソースコードで1万行程度のカーネルにしかすぎなかったが、現在では150万行以上にもなるフル機能のOSになっている。ユーザの数は、1991年にはわずか100人未満であったが、1998年には700万人以上が使用している (NIKKEICOMPUTER  1999)。そしてフォーブス誌は、1998年8月10日号のカバーストーリーでLinuxの開発者トーバルズを採り上げ、LinuxがマイクロソフトのOS帝国を脅かす可能性をほのめかした、という。

Linuxのこのような急速な進化は、作成者であるトーバルズがインターネット上にLinuxをオープンにし、その結果インターネットを媒介にして世界中の技術者のなかでリサイクルが発生し、使用による学習の蓄積が、グローバルレベルで急速に進展しているからにほかならないのである。そして20年以上前、AT&TがUNIXのソースコードを公開したことからIBM帝国の崩壊が始まったのと同様に、今日Linuxのソースコードを公開したことがひきがねとなり、マイクロソフト帝国の崩壊がささやかれはじめているのである。このようなUNIXとLinuxの2つの事例に共通することは、デジタル知のオープンとリサイクルが発生した結果、設計者ですら予想できなかった知識進化が達成された、ということであろう。

さてここで、上記2つの事例から、企業経営への若干のインプリケーションを導出してみよう。デジタル知のオープンとリサイクルプロセスが実現されるためには、2つの条件が満たされることが必要である。まず第1は、トップマネジメント自身が過去の成功体験を克服することである。囲い込みによる希少性が競争優位をもたらすという伝統的なアプローチは、デジタル知が中心的役割を演じる産業では必ずしも有効ではありえない、ということを認識することである。これはトップマネジメントにとっては、過去の成功体験のなかで強固に蓄積されてきた思考パターンの慣性を克服することを意味する。この慣性のもとでは、デジタル知を市場にオープンにしようという新しいパラダイムは、全く理解できないであろう。

第2は、共有空間という適切な場の設定を行うことである。すなわち、知識進化をもたらすようなリサイクルプロセスを発生させるためには、適切なメンバーから構成される共有空間の設定と、その共有空間の品質維持が必要なのである。例えばベル研究所が、1973年に開発したUNIXV5の公開を、非営利機関のみに限定したのは、まさにメンバーを選定し、共有空間の性質をある一定の品質に保持しようとする意図をあらわしている。また、1975年に発表されたV6においても、大学研究機関と商用利用者とのあいだで、公開価格に差をつけたのもまた同様の理由からに他ならない。このような適切な場の設定の必要性は、知識創造の視点からも既に指摘されている(1998 Nonakand Konnno)。

だが、設定した場の品質を維持することは、それほど容易なわけではない。近年インターネットユーザの対象が広がるに連れて、これまで潜在していた問題が顕在化しつつある。例えば、特定個人を誹謗中傷するような情報を流したり、あるいはわいせつな画像を流したりするメンバーが出現してきたのである。それにつれて、インターネットを法的に規制しようとする動きが出現しつつある。だが法的規制は、知識の自由な交流を妨げる要因ともなりうる。これは、インターネットという共有空間のメンバーを拡張するにつれて、共有空間全体の品質保持が困難になった、ということを意味している。
 

5.今後の課題


デジタル知が主要な財となる産業では、デジタル知のオープンとリサイクルプロセスを、経営システムのなかに組み込んでゆくことが重要である、ということを本稿では指摘してきた。今後の課題を2点ほど指摘しておこう。

まず第1は、リサイクルアプローチは、デジタル知が主要な財となる産業以外においても、果たして有効に機能するのかどうか、ということであろう。本稿では、デジタル知のリサイクルアプローチの有効性に関する理論的根拠を、デジタル知の「強い外部性」と「利用による学習の強い蓄積性」という2点に求めてきた。本稿で取り扱った2つの事例、すなわちUNIXとLINUXは、いずれもソフトウエア産業であり、それはデジタル知そのものが主要な財となる産業なのである。それ以外の産業でも、果たしてリサイクルアプローチは有効に機能するのであろうか。例えば、デジタル知の比重がソフトウエア産業ほど高くはない家電や自動車産業においては、リサイクルアプローチは果たして有効な製品開発パターンとなりうるのかどうか、ということである。

第2は、リサイクルアプローチと個別企業の収益との関係性に関しては、全くといっていいほど明らかにされてはいない、ということである。リサイクルアプローチが知識進化にとっては有効であったとしても、収益性との関係が明らかにならない限り、個別企業にとっては説得力あるアプローチとはなりえないであろう。この課題の解決にはおそらく、リサイクルアプローチを採用することによって達成される知識進化のスピードと、知識を独占することによってもたらされる収益の持続期間、との関係性の考察が必要とされるであろう。

「知のオープンとリサイクル」は新しいパラダイムの登場を予感させるが、今後のさらなる研究の深化が必要とされる。


参考文献

Arthur, Brian(1996),"Increasing Returns and theNew World of Business",Harvard Business review , July - August 1996

馬場靖憲(1998)、『デジタル価値創造ー未来からのモノづくり原論』、NTT出版

井田昌之(1984)、『UNIX 詳説ー基礎編』、丸善株式会社

Badaracco, Joseph L. Jr .(1991)The KnowledgeLink: How Firms Compete through Strategic Alliances、 Harvard BusinessSchool Press

Hamel, Grand and C.K.Prahald(1994) , Competingfor the Future, Harvard Business School Press , Boston , Mass.

楠木、野中、永田(1995)「日本企業の製品開発における組織能力」、『組織科学』、Vol.29

Nonaka, Ikujiro and Hirotaka Takeuchi,(1995),The knowledge Creating Company : How Japanese Companies Create Dynamicsof Innovation, Oxford University Press, New York

Nonaka ,Ikujiro and Noboru Konno(1998), "The Conceptof Ba : Building a Foundation For Knowledge Creation", Californina managementReview Vol 40,No.3, Spring 1998

「オープンソースの行方を探る」、『NIKKEI COMPUTER』 1999.1.4

Quinn,J.B and Baruch.J(1996)," Software-BasedInnovation", Sloan Management Review, Summer 1996

Romer ,Paul M(1990), "Endogenous TechnologicalChange", Journal of Political Economy

Rosenberg, N (1982), Inside the Black Box: Technologyand Economics, Cambridge University Press, Cambridge

"The New IBM", Business Week, December 16,1991

Uzumeri and Snyder(1996)" Information technologyand Accelerated Science:The Case of the Pentium Flaw", California managementReview, Vol 38, No2 , Winter 1996

Von Hippel,E.1994 'Sticky Information and theLocus of Problem Solving:Implications for Innovation' , Management Science,40

Wernerfelt,B (1984),'A Resource based view ofthe firm', Strategic management Journal, Vol.5,171-180